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小坂文乃 革命をプロデュースした日本人の著者【講演CD:辛亥革命100周年を迎えて~孫文と梅屋庄吉の盟約~】

出版社 暦日会、パワーレクチャー

再生時間 01:10:38

添付資料 なし

販売開始日 2011/5/2

トラック数 3

購入音源の倍速版 なし(アプリでの倍速再生は可能です)

作品紹介

一流の講師による本音のトークが聴ける!テレビ、新聞などマスコミでは得られない知識を獲得し、先見性を養いましょう。


小坂文乃氏は中国の孫文を生涯にわたって支援した梅屋庄吉のひ孫に当たる。
今年の辛亥革命100周年にちなみ昨年来、孫文と梅屋庄吉の絆に光を当てるとともに日中親善の活動にも取り組んでいる。
長崎出身の梅屋庄吉は若くして中国に渡り香港、シンガポールなどでカメラ館や映画制作に成功して財を成す。
一方の孫文は清王朝を倒す革命(辛亥革命)を目指して日本などに亡命して機を窺う。
2人は1895年香港で出会う。
欧米列強の横暴を許さずアジアはアジア人が共生することで互いに共鳴。
梅屋は「君は兵を挙げよ。我は財をもって支援す」と盟約し、生涯にわたり孫文を支援することになる。
日本でも孫文を支援した有力な人は300人程いたとされるが「梅屋は一切の見返りを求めなかった」という。
小坂氏は孫文と梅屋の友情を2人の生い立ちから一生を通して解説した。
梅屋は特に映画で大儲けした金を孫文の革命につぎ込み、武器の提供や飛行訓練学校(滋賀県)の建設にも力を入れる。
孫文からの武器注文書の写しなどが今も残っている。「革命に尽力した孫文が父なら、支援した梅屋庄吉は母である」として、孫文は梅屋の羽織に丸囲みで「賢母」と記しているほどだ。
この梅屋庄吉を支えたのが長崎県壱岐出身のトク夫人。
堂々とした女丈夫で心が大きく庄吉を支え、孫文と宋慶齢の結婚にも力を尽くしたという。
梅屋は孫文の死後、その偉業を中国の後世に伝えるため4体の銅像を中国に寄付した。
文化革命では周恩来首相の強い指示で破壊を免れ、4体とも今も中山大学などに残されているという。

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