作品紹介
ときには旅先で記す、詩の世界
心の声を響かせる作品集
旅先で見た情景や、日常の思いをていねいに綴った詩集だ。旅をしたときの記憶は、ふとしたときによみがえり、日常をあざやかにしてくれる。「そういえば、行ったことなるな……」と、以前訪れた旅先を思い出しながら楽しめる。
旅に出たくなる詩集
旅先で記したであろう作品が複数あり、どれも実際に足を運んだからこそ生まれる息づかいが感じられる。たとえば第一章の「花の寺」は、鎌倉にある東慶寺を訪れた際のことが記されている。
冒頭には石段を上がる情報があり、階段をのぼりきった先には藁葺き屋根の山門が現れ、周辺には樹木や花々が咲く様子が記載されている。さらにすすむと、柔和な雰囲気の観音様に出会えるそうで、何とも素敵な寺である様子がうかがえる。
狭く急な石段を上ると
端正な萱葺き屋根の 山門が
ひっそりと迎えてくれた
苔むした紅梅 白梅の古木が
石畳の両側に
散在して植えられ
遠い歴史を
語り始める (抜粋)
著者が実際に訪れたであろう順番で綴られているため、たとえ現地に行ったことのない人も、階段をのぼった先の情景がありありと目に浮かぶ。きっと青い空の日に訪れたら、心地よさそうな寺だ。
過剰な装飾のない文のためか、すっと体中に染み込んでくれる。
率直な言葉が心を打つ、日常の詩
旅をした思い出もすてきだが日常の詩もすばらしい。「第二章 五月の雨」の冒頭は、著者が手探りで介護をしていた様子が、短い文ながらこちらが苦しくなるほど伝わってくる。さらに進むと、「気がつくと 妻の座も 女の性も失って 十年が経過していた」というフレーズがでてくる。端点ながら、懸命に走り続けた女性の姿が浮かび上がる。
しかし彼女は強い。植物の息吹を感じ、生きる喜びを再認識し最後はこう締めくくる。「歌っています 叫んでみます」。鬱々とした日々から立ち上がる、女性の姿が泥臭く、同時にすがすがしく表現されている。
五年ごしの病人とのしめった対話
あしたが見えない乾いた生活
出口のない薄闇のトンネルを
手探りでうろたえていた 介護の日々
豪雨は殴打し すべてを流した
生きるためにのみ 月日を食み
一人の死が残していった
おびただしい 後遺症の山に埋まり
涙を忘れ 無意味にもがき
必死ではね除け 蹴散らし
気がつくと 妻の座も
女の性も失って 十年が経過していた
この日頃 しっとりと小雨
石塀にそって
おしろい花の ハート形の双葉や
ほうせんかの 幼子の舌のような
おどけた芽が ぞっくり出て来て
今年の「新生」を約束する
栴檀の葉の 日毎そよぐ歓喜や
栃の木の枝の 天を突き
伸びる力に
背中をぐいぐい押され
今日も生きている喜びを
自然をうるおす 雨にゆだねて
歌っています
叫んでみます (抜粋)
ふと思い出し、手に取りたくなる詩集
詩は、そのときどきの気持ちにより得られるものが異なる。心が満たされているときに触れると、鬱々とした内容では、己を疲れさせてしまうかもしれない。もちろん逆もあるだろう。
だからこそ、本書はちょうどいい。悲しみをまとった内容があったとしても、基本はプラス思考。揺らぎがちな心をやさしく包んでくれる。
リビングなどの目に届きやすい場所に置いておき、そのときの気分で楽しむ。そうすると、本当の自分はどんなことを欲しているのか、わかりやすくなる。
元気なつもりでも、実は頑張り過ぎていて、心が萎んでしまっている場合もある。本書の詩は、人間らしい率直な言葉で綴られているため、心にダイレクトに響く。だからこそあなたの心のバロメーターとして役立つかもしれない。
文・夏野久万
[著者プロフィール]
螺良君枝(つぶら きみえ)
栃木県那須郡烏山町(現那須烏山市)生まれ。詩集として昭和58年日本現代詩人叢書第83集「―春のくる日―」(芸風書院)、遺句集として螺良英男遺句集「未完のうた」(電算印刷株式会社)がある。
心の声を響かせる作品集
旅先で見た情景や、日常の思いをていねいに綴った詩集だ。旅をしたときの記憶は、ふとしたときによみがえり、日常をあざやかにしてくれる。「そういえば、行ったことなるな……」と、以前訪れた旅先を思い出しながら楽しめる。
旅に出たくなる詩集
旅先で記したであろう作品が複数あり、どれも実際に足を運んだからこそ生まれる息づかいが感じられる。たとえば第一章の「花の寺」は、鎌倉にある東慶寺を訪れた際のことが記されている。
冒頭には石段を上がる情報があり、階段をのぼりきった先には藁葺き屋根の山門が現れ、周辺には樹木や花々が咲く様子が記載されている。さらにすすむと、柔和な雰囲気の観音様に出会えるそうで、何とも素敵な寺である様子がうかがえる。
狭く急な石段を上ると
端正な萱葺き屋根の 山門が
ひっそりと迎えてくれた
苔むした紅梅 白梅の古木が
石畳の両側に
散在して植えられ
遠い歴史を
語り始める (抜粋)
著者が実際に訪れたであろう順番で綴られているため、たとえ現地に行ったことのない人も、階段をのぼった先の情景がありありと目に浮かぶ。きっと青い空の日に訪れたら、心地よさそうな寺だ。
過剰な装飾のない文のためか、すっと体中に染み込んでくれる。
率直な言葉が心を打つ、日常の詩
旅をした思い出もすてきだが日常の詩もすばらしい。「第二章 五月の雨」の冒頭は、著者が手探りで介護をしていた様子が、短い文ながらこちらが苦しくなるほど伝わってくる。さらに進むと、「気がつくと 妻の座も 女の性も失って 十年が経過していた」というフレーズがでてくる。端点ながら、懸命に走り続けた女性の姿が浮かび上がる。
しかし彼女は強い。植物の息吹を感じ、生きる喜びを再認識し最後はこう締めくくる。「歌っています 叫んでみます」。鬱々とした日々から立ち上がる、女性の姿が泥臭く、同時にすがすがしく表現されている。
五年ごしの病人とのしめった対話
あしたが見えない乾いた生活
出口のない薄闇のトンネルを
手探りでうろたえていた 介護の日々
豪雨は殴打し すべてを流した
生きるためにのみ 月日を食み
一人の死が残していった
おびただしい 後遺症の山に埋まり
涙を忘れ 無意味にもがき
必死ではね除け 蹴散らし
気がつくと 妻の座も
女の性も失って 十年が経過していた
この日頃 しっとりと小雨
石塀にそって
おしろい花の ハート形の双葉や
ほうせんかの 幼子の舌のような
おどけた芽が ぞっくり出て来て
今年の「新生」を約束する
栴檀の葉の 日毎そよぐ歓喜や
栃の木の枝の 天を突き
伸びる力に
背中をぐいぐい押され
今日も生きている喜びを
自然をうるおす 雨にゆだねて
歌っています
叫んでみます (抜粋)
ふと思い出し、手に取りたくなる詩集
詩は、そのときどきの気持ちにより得られるものが異なる。心が満たされているときに触れると、鬱々とした内容では、己を疲れさせてしまうかもしれない。もちろん逆もあるだろう。
だからこそ、本書はちょうどいい。悲しみをまとった内容があったとしても、基本はプラス思考。揺らぎがちな心をやさしく包んでくれる。
リビングなどの目に届きやすい場所に置いておき、そのときの気分で楽しむ。そうすると、本当の自分はどんなことを欲しているのか、わかりやすくなる。
元気なつもりでも、実は頑張り過ぎていて、心が萎んでしまっている場合もある。本書の詩は、人間らしい率直な言葉で綴られているため、心にダイレクトに響く。だからこそあなたの心のバロメーターとして役立つかもしれない。
文・夏野久万
[著者プロフィール]
螺良君枝(つぶら きみえ)
栃木県那須郡烏山町(現那須烏山市)生まれ。詩集として昭和58年日本現代詩人叢書第83集「―春のくる日―」(芸風書院)、遺句集として螺良英男遺句集「未完のうた」(電算印刷株式会社)がある。
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