ボート

あの人は、こない。
　雨が来るのだろうか、夕方でもないのにすでに陽がかげりはじめている。
　約束をしていたわけでもないのに、少し期待をしていたじぶんが可笑しい。
　そもそもあたしたちには、約束なんてものがない。
　かばんの中をさぐり、タバコを取り出す。箱を開けて一本をつまみ、火をつけた。すぅっと思い切り吸い込み、すぐに足元の赤いバケツに捨てた。ジゥっと音をたて、長いタバコが水に浮かぶ。火元を軸にして円を描くように、ゆらゆらとゆれながら回るそれを見つめている。
　夫婦仲は悪くないのに、子どもができない。そのことが次第に専業主婦の「あたし」の心に影を落とすようになった。旦那に薦められてはじめたスーパーのパートで、「あたし」はそこで働く「あなた」と、唐突に関係を持ってしまう―—。ひとりの女性の孤独を繊細に切り取る、静かな喪失の物語。

【朗読チャリティー企画「文芸あねもねR」とは】

新潮文庫から出版されている「文芸あねもね」は
2012年3月に刊行された「チャリティー書籍」です。
「女による女のためのR-18文学賞」に由縁のある10名の女性作家たちが
チャリティーのために作品を書き上げ、書籍の印税は、
東日本大震災の復興支援のために全額寄付されています。

この趣旨に賛同した、声優・井上喜久子と田中敦子。
そして彼女たちが声をかけた人気声優たちが朗読していき、
オーディオブックとして配信していきます。
この売上も同様に復興支援のために全額寄付いたします。
「オーディオブック」は、いつでも読書ができる「耳で聴く本」。
世界中どこからでもダウンロード出来る素敵なメディア。
人気声優の声をリスナーの耳元へ届けることで、あなたが私たちの声を聞くことで、
復興支援の手助けをしていきます。